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小川シェフのブログ

仕事のこと

高校生にキャリア教育の特別授業を行いました。

キャリア教育_坂井高校

先日、地元・福井県の坂井高校で、キャリア教育の特別授業をさせていただいた。テーマは料理。けれど僕が本当に届けたかったのは、包丁の握り方でも火加減でもない。「これからの人生を、どう考えていくか」――その問いを、高校生たちと一緒に見つめる時間だった。

授業でつくったのは、フランス料理の基本である「ホワイトソース」だ。

ホワイトソースは、一見するととてもシンプルなソースに見える。バターと小麦粉と牛乳。ただそれだけ。けれど、この一つのソースさえあれば、クロックムッシュにもなり、グラタンにもなり、ドリアにもなり、スフレにもなる。姿かたちは自在に変わっていくのに、出発点はいつも同じなのだ。

僕が鍋を火にかけ、少しずつソースがとろみを帯びていく。その白く艶やかな変化を、生徒たちは思いのほか真剣な目で見つめていた。バターと小麦粉と牛乳が、混ぜていくうちに一つのソースへと姿を変えていく。その様子に、小さく声をもらす子もいる。真剣に見入るその表情の一つひとつが、僕にはとても愛おしく見えた。

だから僕は、生徒たちにこう話した。

「人生も、これと同じなんだ」と。

将来、どんな仕事に就くのか。どこの会社に入るのか。どんな肩書きを手にするのか。もちろん、それらも大切だ。けれど、それ以上に大切なのは、「どんな土台をつくるか」ではないだろうか。何になるかを急ぐ前に、何にでもなれる自分を、まず育てておくこと。ホワイトソースは、そのことを静かに教えてくれる。

料理人の世界でも、世界の一線で活躍している人ほど、基本を大切にしている。派手な技巧の前に、野菜の切り方一つ、出汁の引き方一つに、その人のすべてが表れる。

フランスで修業していた頃の僕は、正直に言えば、そのことがまだよく分かっていなかった。「もっと難しい料理を任せてほしい」「早く自分の腕を試したい」と、何度も思っていた。けれど任されるのは、来る日も来る日も、野菜を切り、フォンを取り、ソースを仕込むことばかり。同じ作業の、果てしない繰り返しだった。

当時は、退屈だと感じることもあった。この単調な日々に、いったい何の意味があるのだろうと。

けれど今、振り返ってみて分かる。あの地味な積み重ねこそが、まぎれもなく、今の自分を支える幹になっているということを。

基礎とは、退屈なものではない。それは、未来の可能性そのものを増やしてくれるものなのだ。

僕は、一人の料理人としてキャリアを始めた。けれど今は、レストランの経営だけでなく、地方創生やレストランのプロデュース、商品開発、人材育成、そして発信や執筆まで、料理という枠を超えて活動している。

時々、「どうして、そんなにいろいろなことができるのですか」と尋ねられることがある。けれど、自分では特別なことをしている感覚はまるでない。料理という一本の幹を、ただ諦めずに育て続けてきた。そうしたら、その幹から、枝が自然と伸びていっただけなのだ。

だから、高校生たちにも伝えた。最初に選んだ進路が、人生のすべてを決めてしまうわけではない、と。進学であれ、就職であれ、料理の世界であれ、本当に問われるのは、その選んだ場所で、どんな土台を築いていくかなのだと。

いまの時代は、「好きなことを見つけよう」「やりたいことを探そう」という言葉をよく耳にする。もちろん、それも間違いではない。けれど僕は、それよりも大切なことがあると思っている。自分を成長させる土台を、自分の手でつくることだ。

技術を学ぶ。知識を身につける。人との信頼を、一つひとつ結んでいく。失敗を恐れずに挑んでみる。そうした一日一日の積み重ねさえあれば、未来は何度でも、その形を変えていける。

そして忘れてはならないのは、料理も人生も、決して一人では完成しないということだ。一皿の料理の向こうには、食材を育てる人がいて、運ぶ人がいて、それを味わって笑ってくれる人がいる。僕がいま料理の枠を超えて動けているのも、志を同じくする仲間や、土地の人たちと手を取り合ってきたからにほかならない。土台とは、自分一人のためのものではない。誰かと共に、新しい価値を生み出していくための足がかりでもあるのだ。

進路を選ぶとき、僕たちはつい、正解を選ばなければと身構えてしまう。けれど、選択そのものよりも、選んだ道をどう耕していくかのほうが、ずっと大きな意味を持っている。選ぶチカラとは、迷わない強さではなく、選んだ場所を信じて土を耕し続ける粘り強さのことだと、僕は思う。

思えば、世界のどこへ行っても、価値観はどこまでも多様だった。国が違えば、食も、暮らしも、幸せの形さえ違う。けれど、確かな土台を持つ人だけが、その違いの中でも自分を見失わず、むしろ違いを面白がりながら、人と共に新しい価値を生み出していけるのだと思う。土台とは、変わりゆく世界のなかで、それでも折れずに立っていられる足場のことなのだ。

人生は、「何になるか」で決まるのではない。「どんな土台をつくったか」で決まっていく。今回の授業は、そのことを、他でもない僕自身に、もう一度言い聞かせる時間でもあった。

これから高校生たちは、何度も迷い、進路に悩み、自分の未来について考えあぐねる夜を過ごすだろう。それでも、焦らなくていい。

まずは、自分だけの「人生のホワイトソース」をつくってほしい。土台さえしっかりと据えられていれば、人生の可能性は、何度でも、どこまでも、広がっていくのだから。

そしていつか、その一皿を、誰かのために差し出せる人になってくれたなら――僕にとって、これ以上うれしいことはない。

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