第二章-2 西洋料理と僕

テーブルに座るやいなや、山盛りに盛られた唐揚げには目も向けず、早口で母に疑問をぶつけた。「ねえ、俺の押入れにあった料理の本、お父さんのやろ?」母は、素っ気なくそれを認めた。「そうや。置いとくとこないからそこに置いといて」「あれ、西洋料理の本やったけど、お父さん日本料理やろ?なんでそんなもん持ってる?」一瞬、母は手を止めて僕を見た。「お父さん、若い頃、洋食をやりたかったみたいやよ。お母さんと結婚した時にはもうあの本を持ってたみたいや」優しいような悲しいような目だった。
母は再び動き出し、ご飯を大盛りに茶碗に盛って僕に渡した。「お店やってたときも、デミグラスソースやらホワイトソースやらを、その重たい本見ながらよく作ってたわ」母は、手を止めることなく、家族全員の湯飲みにお茶を注ぎながら言った。
突然、祖母が口を挟んだ。「お父さんはな、金沢の料亭に丁稚奉公に行ってたんやけど、そう言えば洋食やりたいって言ってたわ。でも福井に帰ってきて、福井には洋食屋なんかなかったさけ諦めたんやろう」「えっ、じゃあ、なんで福井に帰ってきたの?金沢やったら洋食屋さんいっぱいあったんちゃう?」ご飯に手をつけないまま僕はその話に没頭した。弟は、頭上を飛び交う父の話より目の前の唐揚げに夢中になっていた。「あの事故が無かったらあのまま金沢にいたかもしらん」祖母は申し訳なさそうな顔をした。あの事故とは、金沢で父が丁稚奉公していた時の事故のことだ。出前の途中だった父の原付バイクにトラックがぶつかり、父は救急車で運ばれた。入院も手術もさせてもらえず、すぐに親方に連れ戻され、左足に後遺症が残ってしまったのだ。いや、親方に連れ戻されなくとも、お金がなかったからどの道、手術は出来なかったらしい。足を引きづりながらも、その後数年は修行に励んでいたが、祖母が福井に呼び戻したのだ。母一人、子一人の二人だけの家族だった。だから、父は祖母を、祖母は父を、お互いがお互いを心配し、結局、父は20半ばで福井に戻った。祖母は、あの時、たった3万円の手術代すら用意できなかったこと、父に心配をかけて福井に呼び戻してしまったことなどを後悔していた。父は一人で寂しい思いをしている祖母を見かねて福井に戻り、一緒に暮らすことにしたらしい。
そうだったのか。父は本当は洋食をやりたかったのか。いや、洋食じゃない。西洋料理をやりたかったんだ。
「ともひろ、いつまでも喋ってないで早く食べなさい」母は、夕飯の片付けを済ませてしまいたいからと、箸を持ったまま喋っている僕を急かした。
僕は父からその本のことを直接聞きたかった。父は、なぜ西洋料理をやりたかったのか。
僕は、いつものように父の帰りを待った。いや、一見、”いつものよう”にを装っているが、その内心は風船が膨らむように期待が膨らんでいた。破裂するんじゃないかと思うくらい膨らんだ胸の中の風船を、僕は呼吸で調整した。父の帰りを待つ時間が途方もなく長く感じた。
もはや僕の興味は洋食ではなくなっていた。西洋料理という、ついさっき出会った絵画のような料理だ。
これは偶然ではない。必然なのだ。運命なのだ。僕が進むべき道なのだ。そう自分に言い聞かせた。あとは、それを父が、父の言葉が確信に変えてくれる。心がそわそわしていた。
目はテレビ画面を見ているが、焦点はあっていない。頭の中は料理のことでいっぱいだ。そんな時、テレビに西洋料理らしきものが一瞬映った。僕は、眺めてただけの画面の、その一瞬を見逃さなかった。それは「料理天国」という番組のコマーシャルだった。ハッとして、その番組の放送日と時間を確認した。僕の脳は無意識で西洋料理に反応した。
つづく