第三章-6 意志へと変わる瞬間

僕はそわそわしていた。
授業も半分上の空のまま昼休みに入る。僕はトメちゃんたちと一緒にSOGOのフードコートでお昼を食べることにした。ここへはよく来る。学校から歩いて10分くらいのところにあって、大きなパテの入った野菜たっぷりのハンバーガーがウリで、フライドポテトとジュースがセットになって680円。吉野家の牛丼とか惣菜パンを買ってくればもっと安くつくが、フードコートでハンバーガーセットを食べてると都会にいるって感じがするから好きだ。週に一度はここに来る。

さて、そわそわの原因は、もちろん勝又シェフに放課後呼び出されたからだ。昨日、僕が勝又シェフを呼び止めてオーミラドーで働きたいと言ってしまったのだからキャンセルは出来ない。トメちゃんは脅すし、村山は他人事のように笑うだけ。関東方面から来ているクラスメート何人かにも評判を聞いたが、口を揃えてあそこはやばいみたいだよと。もう、不安でしかない。

ただ、そんな不安の中にもなぜかほんの少しだけワクワクする感情があることに気づいた。それは勝又シェフの授業を受け、彼の料理を見たから。あのアートのように美しい料理が目に焼き付いて離れない。僕もあんな料理が作りたい。そんな期待や希望が僕の中にゆらゆらと、小さくだけど燃えていた。

ハンバーグをかじりながらジンジャーエールをストローで吸う。ポテトは最後に一気に食べるのが僕のスタイル。ここのハンバーガーはバンズがしっかりしていて食べ応えがあるし野菜もたっぷり入ってる。だから、うまく食べないと具がこぼれ落ちて口の周りもトレーの上も大変なことになる。真っ直ぐ一方向からかぶりつくだけじゃダメ。中の具をバンズの真ん中に集めるように右からも左からも均等にかぶりつき、野菜やパテが外に出ようとするのを手で押さえながら食べるのが綺麗に食べるコツ。

ケチャップにまみれたトマトのスライスがトレーにボトッと落ちた。
「小川さ、ほんとにオーミラドー行くんか?」
村山がニヤニヤしながら話しかける。
「いやあ、どうしよっかなぁ」
僕は煮え切らない答えしか持ち合わせていない。どうしていいのか本当に分からなかった。

そして放課後が来た。
迷いを抱いたまま、僕は第二校舎に向かう。足が重い。
第一校舎から第二校舎までは歩いて5分もかからない。すぐに着いてしまう。
同じ学校だけども第一校舎の生徒が第二校舎に来ることはなく、校舎の外観も全く違うし見慣れない顔の生徒ばかりだ。まるで違う学校に来たみたいなアウェイ感が半端ない。
階段を登って2階に事務所があり、そこで勝又シェフが授業をしている教室を聞く。3階に上がって二つ目の教室とのこと。
ドアの窓から教室を覗くと勝又シェフがまだ話していた。僕は所在なさを紛らわすように廊下を歩き回りながら待った。
「起立!礼!」
号令が聞こえ、僕は身構えた。勝又シェフが出てくる。胸が高鳴る。

主任教授と勝又シェフが教室から出てきて、二人とも僕を見る。
「ああ、昨日の子か」
勝又シェフが僕を睨む。いや、睨んでないのだろうけど、僕は睨まれたように金縛りになった。
「はい!」
出来るだけ大きな声で返事した。そうしないと金縛りが解けなかったから。
「一緒に職員室に来なさい」
主任教授が歩き出し、僕は二人の背中を追った。
職員室は2階の事務所の隣にあり、そこには応接セットのようなものもあった。革張りのソファに勝又シェフと主任教授が座り、僕にも座るよう促した。
「ふぅぅ…」僕は心の中でバレないように深呼吸しソファに腰を下ろした。思ってたよりソファは低く、お尻が深く沈む。両足が地面から浮き上がりそうになったが必死に踏ん張った。

「なぜ、うちで働きたいんだ?」
勝又シェフからの質問が来た。僕の目を離さない。
まさか、担任が行けと言ったからとは言えない。僕は、「勝又シェフの授業を受けて、それでオーミラドーで働きたいと思いました。」と言葉を取り繕った。いや、でもそれはまんざら嘘ではない。僕は心のどこかでそう思っていた。
「本気なら、一度オーミラドーを見に来なさい」
そう言って、勝又シェフは立ち上がった。
僕も慌てて立ち上がって、「はい、分かりました」と答えた。
主任教授が「じゃあ、もう帰りなさい。担任の先生は信田先生だね。このことは信田先生に話しておくから」と僕の肩を軽く叩く。僕は「ありがとうございました。失礼します」と言って職員室を出た。

僕はそのままアルバイトに向かった。長引くことも考えバイト先に遅れるかもしれないことを伝えてあったが、意外にあっけなく終わった。
店長が「あれ?小川くん、早いじゃない?」と少し驚いた様子で僕を迎える。「面接、ダメだった?」僕を見る目がいつもより垂れている。
「いえ、面接じゃないです。ただ、呼ばれたのでちょっと話ししてきただけです。」
「そっか。うまく行くといいね。」
この流れは完全に僕がオーミラドーに行きたがっているという流れだ。

アルバイトは9時に終わる。帰り道にぼんやりと、僕はオーミラドーに行くことになるのだろうか、と考えながら歩いた。行きたい、と強く願ってはいないが、まんざら嫌でもなかい自分もいた。自分の気持ちが分からなかった。

翌日、朝のホームルームが終わると信田先生から手招きされた。
「小川、勝又さんのとこ早めに行ってこいよ。行く日決めたら教えて。俺が勝又シェフに連絡しておくから。」
「先生、本当に僕はオーミラドーに行った方がいいんですか?」
僕は先生に答えを求める。
「ああ、小川はミラドーがいいと俺は思う。勝又シェフが雇ってくれればやけどな。」
少し考えて、「じゃあ、来週の日曜日に行こうと思うんですが」と、覚悟した。
ノブちゃんはちょっとびっくりした様子で「月曜は学校休むのか?」と聞いてきた。
「いえ、あの、日帰りで行こうかと…」
「えっ?箱根まで日帰り??お前、箱根がどこか分かってるのか?」
「神奈川県ですよね?」
「そうや、新幹線で小田原まで行って、そこからさらに山の上やぞ。大阪からだと片道4時間くらいかかるんちゃうかな。日帰りは厳しいやろ。」
「大丈夫です。朝いちで行きますから。一泊するお金がもったいないので。」
「そうか、分かったわ。勝又シェフに連絡しておくから」
放課後、ノブちゃんから「勝又シェフはOKやって。15時ごろ来いってよ。」

日曜日。
僕は朝7時に寮を出て新大阪駅に向かう。
オーミラドーへの行き方はノブちゃんが調べてくれた。新幹線で小田原まで行き、そこから13番のバスで元箱根三叉路のバス停で降りると目の前にオーミラドーがある、とのこと。

道中いろんなことを考えた。この成り行きは先生が勝手に作ったものだ。僕の意志じゃない。このまま大人の思うように身を任せちゃいけないんじゃないか。とも考えたし、いや待てよ、もしかしてこれは運命なのかもしれない。チャンスなのかもしれない。とも考えてみた。
結局どっちか分からなかった。答えなど無いのだから。

バスを降りると迷うこともなく目の前にオーミラドーが現れた。
鳥肌がたった。これがオーベルジュ・オーミラドーなのか。
約束の時間までまだ1時間以上ある。僕はオーミラドーを目の前に立ちすくんだ。
そして我に返ると「ここで働きたい」と強く思っていた。
成り行きでここまで来たけど、今は僕の意志がここで働きたいと叫んでる。
それほどまでにオーミラドーの存在感は僕にとって衝撃的だった。

「運命」を感じた。

つづく