「給与」で集まり、「居場所」で残る
人は給与のために働き始める。 でも、働き続ける理由は、そこだけではない。
先日、同業の経営者と深夜まで話し込む機会がありました。
「給料も上げた。休みも増やした。なのに若い子が辞めていく。何が足りないんだろう」
その言葉が、ずっと頭の中に残っています。
僕にはすぐに答えられませんでした。なぜなら、かつての自分も似たようなことを考えていたから。数字を改善するたびに「これで大丈夫なはずだ」と思い、それでも何かが噛み合わない感覚を抱えていた。あのもどかしさを、彼の言葉に見た気がしました。
労働条件は、不満を減らすものです。 でも、「ここで頑張りたい」という心の火を灯すものでは、ない。
給与や休日が整っていなければ、そもそも人は来ない。だから、そこを軽く見てはいけない。ただ、それだけを追いかけていては、組織はいつか消耗します。どこよりも高い給与を、どこよりも多い休日を——その競争に勝ち続けることのできる店が、いくつあるでしょうか。
大切なのは、もう少し別のところにある。 スタッフを「労働力」として見るのか、「共に未来をつくるパートナー」として見るのか。その視点の差が、じわじわと、でも確実に組織の空気を変えていく。
同じ「ホール担当」でも、「仕込み担当」でも、そこに込める意味は組織によって違います。
「この通りにやって」ではなく、「どうすればもっと良くなると思う?」と聞くこと。出てきたアイデアを実際に試してみること。うまくいったとき、うまくいかなかったとき、どちらもきちんと一緒に振り返ること。
「あなたの言葉が、この店を動かした」という実感を、少しずつ積み重ねること。
人は、自分の声が反映された場所を、少しずつ自分ごとにしていきます。居場所は、誰かから与えられるものじゃない。「自分がここにいる意味」を感じた瞬間に、人は自らその場所を居場所にしていく。
僕が出会ってきた若い料理人や飲食人たちは、決して弱いわけではありません。ただ、求めているものが変わってきている
彼らが欲しいのは、賞賛ではなく、「先が見えること」です。
ここで働いた先に、どんな自分になれるのか。どんな技術が身につき、どんな価値観に出会い、どんな世界とつながれるのか。その問いに、今の若手はとても敏感です。
思えば、これは若い頃の自分も同じだった。うまく言葉にできなかっただけで、僕も「この場所にいることで、どこへ行けるのか」をずっと探していた。だから今になって、ようやく理解できることがある。彼らはわがままなのではなく、正直なのだと。
リーダーの役割も、変わりました。
かつては、最も技術のある人がリーダーでした。しかしこれからは、若手が主役になれる舞台をつくる人が、リーダーです。スポットライトを自分に向けるのではなく、次の世代の可能性に向けること。それが、今の時代に求められるマネジメントだと思います。
そしてこれは、理念の話だけではない。居場所のある職場は、経営としても強い。人が定着すれば、採用や教育の負担は減る。技術は積み重なり、サービスの質は安定する。心理的に安全な場所で働く人は、自分で考え、ゲストとの関係を自らつくっていく。それは、店の価値そのものを高めます。
食には、人をつなぎ、価値観を越え、未来をつくるチカラがある。
だからこそ、食の現場で働く人たちこそが、多様な価値観を認め合い、共創できる関係でなければならないと思うのです。
僕自身、まだ迷うことがあります。あのとき、もっと早く気づいていれば、と思うこともある。それでも、忘れたくない問いがあります。
——この人は今、自分がここにいる意味を感じているだろうか。
人は給与のために働き始め、居場所のために働き続ける。
スタッフを労働力ではなく、共に未来をつくる仲間として見ること。 その選択が、組織を変えると——僕は信じています。


