美味しさの再定義
日本の食料自給率は38%。
2030年に掲げられた45%という目標には、届かない見通しだと聞きます。
この数字を、僕はただの統計だとは思えません。
僕は料理人として、そして「食のチカラで未来をつくる」ことを信じる一人として、この自給率の話題に強い違和感を覚えています。多くの場合、この問題は「もっと生産しなければいけない」という議論に収束します。でも、本当にそれだけでしょうか。
誰が、どんな想いで育てたのか。
どう流通させ、どこで線を引き、何を捨てているのか。
そして、僕たち料理人が、どんな基準で食材を選び、どんな料理として消費者に届けているのか。
自給率という数字の裏側には、こうした無数の「選択のチカラ」が積み重なっていると、僕は思うんです。
現場に立っていると、日常的に目にする現実があります。形が悪い、サイズが不揃い、少し傷がある。そんな理由だけで、市場に出ることなく消えていく食材たち。でも、味はどうでしょうか。正直に言って、何も劣っていないものがほとんどです。
料理人である僕たちは、その食材を「使えない」と切り捨てる側にも、「まだ生かせる」と価値を見出す側にもなれる。そこにあるのは「もったいない」という後ろ向きな感情ではなく、「可能性」に目を向ける姿勢です。
地域で採れた野菜や魚を、あるがまま受け止め、美味しい一皿に仕立てる。出荷基準を満たさなかった食材が、誰かの「美味しい」という笑顔に変わる瞬間。それは、料理人として最も誇らしく、胸を張れる仕事だと僕は思っています。
食の未来を考えるとき、僕らはつい効率や数字に目を奪われがちです。でも、本当に大切なのは「どんな価値観で食を選ぶか」。多様な価値観を認め、共創することでしか、持続可能な未来はつくれません。
グローバルな視点で見れば、日本ほど繊細で豊かな食文化を持つ国は稀です。その強みは、量ではなく質、そして美味しさの定義そのものにあります。美味しさを見直すことは、生産者を守り、地域を支え、未来をつくる選択でもあるんです。
僕らは、どんな「美味しさ」を次の世代に残せるでしょうか。
一つひとつの選択が、食の可能性を広げていく。
その力を信じて、僕は今日も料理をつくり続けます。


