料理におけるイノベーションの代償
最近の流行りはもっぱらイノベーティブ・キュジーヌだろう。
イノベーションは、テクノロジーの世界だけでなく、料理の世界でも不可欠だし、新しい食材の探求、テクノロジーの導入、既存の伝統に挑戦することで、料理は進化し人々に驚きと感動を与える。でも、その一方で、イノベーションには代償を伴うこともある。
それは、テクノロジーの導入は料理のオペレーションの効率性や一貫性をもたらす一方で、料理人の職人技や感性が不要になる可能性もあるから。
誰だったか忘れたけど、とある社会学者がこんなことを言っていた。
テクノロジーが進化すればするほど、人類は退化していくのだと。
例えば、昔の人は、空を見上げながら肌で空気を感じることで、明日の天気が分かったという。でも、今は人工衛星とスーパーコンピューターというテクノロジーの発達で、人類は天気を予想する能力が退化してしまった。人類はもう、天気予報を見なければ明日の天気が分からない。
料理人も、テクノロジーの導入と引き換えに何かしらの退化を受け入れたはずだ。
それでも、僕たちは進歩を追求していく。
ただ、それは常にバランスを考え、伝統と革新、職人技とテクノロジー、地域の食材と新しい食材の間での調和を見つけることで成功するのだと思う。
言っておくが、僕はイノベーションに溢れた料理人ではないし、だからと言って、伝統的な料理に固執しているわけでもない。僕が何より大切にしているのは、料理人としての役割を通じて食のチカラを信じて未来をつくること。
イノベーションは素晴らしい進化をもたらすけど、伝統は私たちのルーツを繋いでくれる。どちらを選ぶわけでもなく、むしろそれらをバランスよく交えることで、新たな可能性を模索したいと思う。
進化を追求する一方で伝統を尊重し、そこから学ぶことが未来を創る手段だと信じています。