第二章-4 大阪の料理学校

ダンボール箱はそのままにしてある。押入れから出したまんまだ。どうしても諦めきれなかった。
僕は、毎日のようにページをめくった。読んでる、と言うより、ただ眺めているだけだった。レシピがぎっしりと書かれているが、その横書きの文字から全く料理が想像出来ないのだ。巻頭ページに写真が数枚あるものの、どうしてこんな料理になるのか全く分からない。

”フランス料理かあ…”ため息が出る。
無理だと分かっていても未練が僕の心を掴んではなさい。13歳で初めて途方に暮れるということを知った。
不意に、今日は「料理天国」の日だということを思い出した。福井は民放が2チャンネルしかないから曜日と時間さえわかってれば何チャンネルなのかなんて気にする必要がない。料理天国は、土曜の6時にFBCテレビで放送されていた。画面の向こうに、日本料理、中国料理、西洋料理と、見たことのない高級料理がどんどん出てくる。西洋料理とは、主にフランス料理とイタリア料理のことを指すのだと、僕はこの番組で知った。ザリガニやらカタツムリまで料理するフランス料理に僕は驚き、そんなゲテモノまでをも美しく、美味しく料理するフランス料理というものに魅了された。映像で見るフランス料理はずば抜けて美しく華やかだった。僕の心はみるみるフランス料理に飲み込まれていく。料理天国を監修しているのは大阪にある辻調理師専門学校だということを番組で紹介していた。大阪に行けばフランス料理を学べる学校があるのだ。眩い一筋の光がスッと目の前を過ぎった。

さらに本屋で「ザ・シェフ」という天才シェフが主人公の漫画を見つけた。中学生になって、小遣いを毎月2,000円もらうようになり、僕はそれをこの漫画本につぎ込んだ。主人公の味沢匠(あじさわたくみ)は、孤児院で育ちながらも凄腕の一流シェフになり、世界中のグルメを唸らせるばかりではなく、時には料理で人の人生までをも変えてしまう。そんなストーリーに勇気をもらった。孤児院育ちでも一流シェフになれるのだから、田舎育ちでもシェフになれるんじゃないだろうか。そんな淡い夢をも抱いた。

毎日「荒田西洋料理」を眺め、毎週土曜には「料理天国」にチャンネルを合わせ、「ザ・シェフ」の新刊が発売するのを心待ちにする日々が続いた。一度は消えたろうそくに再び火がついたのを感じた。いや、本当は消えていなかった。くすぶっていただけだったのだろう。徐々に希望が僕の心を照らし始めた。
暑い夏がやってきそうだ。

目の前の家は大工の親方だった。
「小川さんやぁ、今度の日曜日、息子さん貸してくれんかのう」
その親方が突然、うちの玄関のドアを開け大声で叫んだ。母が夕飯の支度の手を止めて台所から玄関に向けて顔を出した。
「息子って、ともひろか?」
「そうや、お兄ちゃんの方や」
「なんでやの?」
「本屋の天井の解体があるんやけど人が足らんのや」
「えーっ、でもともひろなんか役に立つかなぁ」
「壊した天井をトラックに運ぶだけや。誰でもできるって」
「いいけど、ともひろに直接聞いてみて」
母は台所から出てきて階段の下に立ち上を見上げた。「ともひろーっ」母が声を張り上げた。
僕は2階の自分の部屋で、その一部始終を聞いていた。いや、否応無しに聞こえてきた。木造の家だ。あんなに大きな声で話せば、家中どこにいたって聞こえる。親方も声が大きいが、母も負けじと声が大きい。僕は、めんどくさかったけど逃げられないと思い、やる気のない返事とともに階段を降りた。
「よっ」親方は、僕の顔を見るなり右手を軽く上げ、手の平を僕に向けて声をかけた。
「ともひろくんや、今度の日曜、ちょっと手伝ってや。天井壊した後の廃材をトラックに運ぶだけや。夕方5時に迎に来るわ。9時までには帰ってくるから」
「は、はぁ…」僕の気の抜けた返事とほぼ同時に母が口を出した。
「5時って、夜ご飯どうするんや。なんか食べてかなあかんわ」母の心配は的外れな気もした。
「そんなん、俺がなんか食わすからええよ」親方は、再び母に顔を向けた。
こうして僕は、中二の夏、初めてアルバイトというものを経験した。アルバイトに行く前に、お腹空くといけないからと母が食パンを2枚焼いてくれ、目玉焼きも2個作ってくれた。僕はトーストした食パンにたっぷりバターを塗って、目玉焼きを乗せて食べた。

アルバイトは思ってた以上にきつかった。廃材は重いし、持ちにくい。それに、たくさんの荒々しい大工に囲まれ、それだけでも緊張した。というか、ビビった。大工というのはみんながみんな声が大きい。代わる代わるに、首にタオルを巻いた男たちがしゃがれた声で「にいちゃん、頑張れや」と声をかけていった。まだ夏は始まったばかりなのに、すでに男たちの顔は真っ黒に日焼けしていた。軍手をした手の感覚がなくなって、握ることも出来ないくらい握力が奪われていたことに気づいたのは、親方が帰るぞー 、と終わりの鐘を鳴らした時だった。

帰りに親方が焼肉をご馳走してくれた。
「遠慮せんとたくさん食えよ」そういって、親方は次から次へと肉を注文し、それらを適当に焼いては僕の皿に絶え間なく積んだ。僕の空腹が、遠慮というものを軽く飛び越えてしまい、ご飯のお代わりを2回もした。
帰りのトラックの中、運転している親方から封筒を渡された。「今日のアルバイト代や」中を覗くと1,000円札が3枚入っていた。僕の1ヶ月の小遣いの1.5倍のお金だ。「あ、ありがとうございます」お金をもらえるとは思ってなかったから僕は戸惑った。
家に帰ると、真っ先にその封筒を母に渡した。「これもらった」僕は、突然手渡されたお金をどう扱ったいいのか分からなかった。父はすでにお酒を飲んでいて顔が真っ赤だ。
「えっ?なに?」母は封筒を除くと、すぐにそれを僕に返した。「ともひろが働いたんやから、ともひろのや」「親方になに食べさせてもらったんや?」
「焼肉」ぼそっとつぶやくように僕は答えた。
「あんた、ちゃんと役に立ったんやろか」「疲れたやろ。お風呂入って寝なさい」
少し心配そうな顔で僕を見つめる母を横目に、最小限の返事で愛想もないまま母をやり過ごし、僕は風呂場に向かった。

風呂場の小窓から、親方の家が見える。すると、母が親方の家の玄関先にいた。
「すんません、焼肉ご馳走になって、アルバイト代までもらって。ありがとうございます。ともひろ、役に立ったんやろか」母は玄関先で親方に頭を下げていた。
「いやいや、よく働いてくれたよ。ほんと助かったわ。こっちがお礼せなあかんのやから、なんでお母さんが頭下げるんや。やめてや」親方が両手を目の前で振っているのが見えた。
母の声は、やはり大きくてよく通る。カエルの声くらいしか聞こえない、この田舎の静けさの中で、母の甲高い声と親方のしゃがれた声だけが響き渡っている。僕は、小窓からその様子を見ながら、”恥ずかしいからやめてよ”と心の中でため息をついた。

湯船に浸かると体の疲れがお湯の中に滲み出ていく。僕は疲れきっていた。
疲れたなあ。これで3千円かあ。そもそもが、3時間ほどしか働いておらず、焼肉までご馳走になって3千円も貰えれば、かなり破格のギャラだろう。ましてや中二のロクに役にも立たない小僧など、焼肉をご馳走になっただけでも十分すぎるほどだ。

あの大阪の料理学校に行くにはどんだけ働かないといけないのだろうかと、この疲れの何倍、いや何百倍、何千倍がそれに相応するのかと、働いてお金をもらうという経験を初めてした僕は、そんなことをぼんやり考えていた。そして、急にお金の心配が僕の頭の中を占領した。大阪の料理学校へ行くとなると、どんだけお金がいるのだろうか。親は出してくれるだろうか。またしても不安が希望の光を大きく揺らしはじめた。

つづく