第一章-10 ささやかで平凡な幸せ

浮舟を閉めたことで僕たち家族の生活は大きく変わった。父も母も朝が早いのは今までと変わらないのだが、帰宅する時間が早くなったからだ。父は夜の8時までには帰ってくるし、母はだいたい6時までには帰ってくる。これは、今まで滅多に家族全員が顔を合わせることが無かった生活から一変して、短い時間だが毎晩家族が共に過ごす時間が出来たということだ。

父の勤め先である仕出し料理屋は、新しく出来たスーパーの魚売り場に出店し、父はそこの店長になった。そのため毎朝、朝早くに市場に行き、自分で目利きした魚を仕入れ、その仕入れた魚は刺身や焼き魚、煮魚など、料理して売り場に並べていた。仕入れから料理、値付けまで全てを父は任されていたのだ。わざわざ朝早くに市場に行かなくても電話一本で魚は配達してくれるのだが、父はそうはせずに必ず自分の目で見て仕入れることにこだわった。だから毎朝出勤前に市場に行っていた。

母の仕事も朝早かった。キャディというのは朝6時ごろからやって来る客を迎えるためにその1時間ほど前から準備しないといけないそうだ。そして早番と遅番というものがありシフトで管理されているらしかった。父は朝5時には家を出るが、早番の母は父より先に家を出る。

母が夕飯までに帰ってくるようになり、父以外の家族4人で夕飯を食べるようになった。そして、父も僕らがまだ起きているうちに帰ってくる。父が帰宅し晩酌を始めると僕は父の隣に座って一緒にテレビを見るのが日課になった。そして、夜10時近くになると父の横で僕はウトウトとし始める。それを見て母は「ともひろ、布団で寝なさい」と半分夢の中の僕を突き上げるように叱るという毎日を繰り返していた。

父はたまに売れ残った刺身を持って帰り晩酌のあてにすることがあったが、僕はそれを毎回せがんだ。そのうち、息子に美味しいものを食べさせようとしてか、父はいろいろと持って帰るようになる。「ともひろ、今日は生のマグロが入ったから持って帰ったぞ」「今日はでっかいヒラメが入った。エンガワ食べたことないだろ。ヒラメはエンガワがうまいんや。ほら、ともひろ、食べてみろ」「脂ののってるぶりはうまいやろ。養殖じゃないぞ、これは天然やからな」こと食べ物に関しては息子に贅沢をさせる父に母は呆れていた。

父も母も休みが取れるようになり、夏休みには遊園地に連れて行ってくれたし、冬休みにはスキー場にも連れて行ってくるようになった。車はボロボロのバンのままだったが、後部座席を倒し荷台をフラットにし、ゴザを敷いておもちゃと一緒にそこに僕ら兄弟は放り込まれた。オンボロ車は地面のデコボコをもろに伝えながら走っていたが、それはそれで楽しかった。たまに石を踏んだり道路のデコボコにタイヤがハマったりすると、僕らのお尻は数ミリだが宙に浮く。その度に僕と弟は歓声をあげた。とにかく、今までピアくらいしか行ったこと無かったのに、何時間も車に乗って出かけることは行き先がどこであれ、大いにワクワクした。

こうして、僕はあの事件の不安や恐怖をいつの間にか忘れていった。こうして、新しい日常が僕ら家族の傷を癒してくれていた。
母は、”これで良かったんだ”と、”父の決断は正しかったのだ”と、しみじみ呟いた。元々お金なんて無かったのだから借金返せただけで充分だと。父は酔っ払うと「ともひろ、料理人なんかになるんじゃねえよ。儲からんからな」と口癖のように言うようになった。もちろん、僕はそれを無視した。
僕ら家族はあの事件で経済的にも精神的にも深い傷を負ったのは間違いないが決して絶望的ではなかった。絶望どころか、むしろ、ささやかながらも幸せだったように思う。

あの事件で、新生浮舟の開店の路は断たれた。元々の浮舟は軌道に乗りはじめていたから閉めずともそのままやっていれば生活は出来たはずだ。それなのに、父は店を閉めた。このささやかで平凡な幸せは、父の思い切った決断の、その代償として得たものだった。
それは、この先、この場所で浮舟を続けても数年後には行き詰まるだろうと考えたからでもあったが、それよりも、あの事件によって”このままではいけない”という直感的は覚悟のようなものに突き動かされたからだ。

一時は絶望感に襲われただろう。父はその絶望感に抗って前に進んだ。”落ち込んでいる場合ではない。俺には家族がいる”重くのし掛かる闇のような絶望感を振り払うように父は強く自分に言い聞かせた。そして過去を断ち切るように進むべき道を選んだ。
だから、たまたまとか、成り行きで得られた幸せでは決してない。そこには父の決意の選択があったのだ。それが、その時の父の生き方だった。母は、そんな父を精一杯の笑顔で支えていた。

つづく