第二章-12 真っ赤なオーブン

あれから調子に乗って何度かフランス料理の真似事をした。そして、段々と欲が出てきた。スパイスや調味料を揃えなきゃ、道具もあれもこれも必要だ。
そしてオーブンが欲しい…
特にフランス料理を作るのにはオーブンが無いのは致命的だった。フランス料理というものは、ほとんどの料理がオーブンを使う。煮込み料理ですら鍋ごとオーブンに入れる。
僕は決心した。オーブンを買おう。

学校の帰り、電気量販店からオーブンのパンフレットをごっそり持って帰る。ガスオーブンをうちの台所に設置するのは無理だけど、電化製品のオーブンならコンセントさせば動くから、それでなんとかなると思ったからだ。シャープや日立製のオーブンレンジと言うのが良さそうだ。どれがいいのか悩む。値段も4万円から8万円と高校生にとっては高額なものばかりだった。だが僕は7万円もするギターを小遣いで買ったことがある。それに比べれば夢への一歩でもあるオーブンレンジへの投資に躊躇はない。
どれにしようか悩んだ末、加熱温度が最高250度まで上がりピザも焼けるという、シャープの6万円もするオーブンレンジを買うことに決めた。母にその話をしたら、母は「そんなものん使えんわ。この電子レンジで十分や」と言い張ったが、自分のお金で買うのだからと、母の心配事の解決策にはなっていない理由だったがこれで押し切った。僕はアルバイトで貯めたお金を惜しげもなくオーブンに注ぎ込んだ。

家にオーブンが届いた。
僕が選んだ色は赤。これでうちの台所もちょっとは華やかになると、僕は一人満足げに真っ赤なオーブンを眺めた。オーブンが来てからというもの、僕はお菓子も作るようになった。オーブンがあればなんだって作れる。そんな気がしてならない。
ある日父から、「近所のもんらがお前の料理食べたいって言うてたぞ」と、仕事から帰って台所に入ってくるなりそう言われた。どうやら、父が家の前の大工の親方と近所で酒を飲んでる時に、「息子が料理人目指して、たまにフランス料理を作ってる」と言ったらしい。すると親方が、「じゃあいっぺん、俺らにもフランス料理を食わしてもらおうや」と、親方が近所に声をかけたらしい。
こうして、1週間後、近所のおっさんらの6人のためのディナーが決まり、それはもうてんわやんわにことが進んだ。食器は、浮舟で使ってたものを物置から引っ張り出し、居間にはちゃぶ台を所狭しと並べ、家中の座布団を集めてこのディナーは始まった。ちなみに仏壇を前にしてのディナーだ。集まった近所のおっさんたちは、最初は物珍しそうにしてはいたが、酒が進むと単に居酒屋で飲んでるように盛り上がり、最後はベロベロになって帰っていった。おそらくすでに何を食べたかも覚えていないだろう。残された大量の洗い物を母と一緒に1時間以上かけて片付け、くたくたにくたびれたけど、家族以外のまったくの他人に料理を出すと言う緊張感と達成感は僕の料理人魂をさらに熱く燃やすことになった。

だが一番大変だったのは母だったろう。僕が焦りまくって散らかしながら料理を作っている間中、母は一言も文句も言わずにそばにいて手伝ってくれた。そして今こうして大量の洗い物を、嫌な顔一つせず黙々と片付けてくれている。浮舟の時の母がそこにはいた。厨房にいる父の傍らで黙々と父を支えていたあの母の姿が。母は最後にただ一言、「あんたはやっぱお父さんの子やね」とだけ言ってニコッと笑った。真っ赤なオーブンも活躍した。僕は布を硬く絞ってきれいにオーブンを拭きあげた。
年が明け、いよいよこの春に大阪に行く。僕は家を出て大阪の料理学校に通うのだ。もう今までのようなままごとではない。
本格的にフランス料理を学ぶのだ。

つづく