第三章-8 冷静に、賢明に、それでもなお

面接が終わり、僕はゆっくりと息を吐いた。もう僕の心は決まっていた。ここで働きたいと。でも実際、ここに来る前には既に別のレストランから内定をもらっていた。そのレストランも一流であり、間違いなく自分にとって素晴らしいチャンスだと思っていた。だから、このオーミラドーの面接も、どこか「成り行き」として臨んでいたはずだった。それなのに、どうしてだろう? 今、この瞬間、心は確かにオーミラドーに引き寄せられている。これは錯覚なのか。それとも気の迷いなのか。

勝又シェフと交わした会話の一つひとつが鮮明に脳裏に焼き付いている。特に、勝又シェフの静かな熱意に触れたとき、胸の奥がざわめいた。自分の料理人としての未来が、まるで新たな光の下で照らされるかのように見えた瞬間だった。心のどこかで、オーミラドーでの自分を夢見ている。それが事実だと認めざるを得なかった。

小田原駅行きのバスに飛び乗り、シートに腰を下ろすと、窓の外に広がる景色がどこか遠く感じられた。既に手にしている内定のことを考えると、理性ではそちらを選ぶのが賢明だと分かっている。だが、どうしても心がオーミラドーに引っ張られてしまう。まるで目の前に差し出された新たな道が、自分の意志とは無関係に「こちらだ」と示しているかのようだった。

小田原駅に到着し、新幹線のホームに向かう間も、頭の中で考えは堂々巡りを続けた。「既に内定があるのに、どうしてこんなに心が揺れているんだ?」そう自分に問いかけてみるが、答えは出てこない。ただ、オーミラドーで働く自分を想像すると、胸が躍るのだ。これまでの経験がすべてこの瞬間のためにあったのではないかとさえ思える。

新幹線が大阪へと向かう中、揺れに身を任せて目を閉じた。しかし、思考は止まらなかった。窓の外を流れる景色が、次々と過ぎ去る未来を象徴しているかのように見える。オーミラドーでの自分の姿が、頭の中に何度も浮かんでは消えた。内定を持つもう一つのレストランも決して悪い選択ではない。むしろ、堅実な選択だ。しかし、堅実さでは計り知れない何かが、オーミラドーにはあるように感じられた。

大阪に着くと、いつものように賑わう駅の雑踏が現実感を取り戻させる。しかし、心はまだオーミラドーに置き去りにされたままだった。寮に戻る道すがら、ふと「もしオーミラドーから内定が出たら?」と考えずにはいられなかった。その思いが次第に現実味を帯びてきて、自分でも抑えきれない期待感が芽生えているのを感じた。

寮の部屋に戻り、荷物をベッドの脇に置いた。静かな空間に身を委ねると、心の中での葛藤がさらに鮮明になる。「成り行き」で受けたはずの面接が、今や自分の心を完全に占領していた。それでも、オーミラドーからの内定通知を待つ身として、期待と不安が入り交じる中で、結局はどちらにせよ自分の未来が大きく動き出すのを感じていた。

目を閉じると、またしてもオーミラドーでの自分が浮かび上がる。その未来が現実になるかどうかはまだわからない。だが、どこかでその未来を期待している自分がいることは、否定できなかった。心の中で、静かな興奮がくすぶり続けていた。

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です